2010-06-18

いのちの食べかた

2005年 
ドイツ・オーストラリア
監督:ニコラウス・ゲイハルター
脚本:ウォルフガング・ヴィダーホーファー/ニコラウス・ゲイハルター

24Feb.'08 イメージフォーラムにて
★★★★★

わかっていたはずだった。
目を叛けない覚悟があったはずだった。
なのに現実をみせつけられ、
動揺しているどうにもだらしのない自分を
思い知らされてしまった。

ワタシは同じ形の生き物が
大量にうようよしているというのがどうしても苦手だ。
うようよが不気味で仕方がない。
異常気象のせいなどでトンポやセミのが大量発生するとか、
カラスの大群とか、
都会のビルに潜んでいるネズミの群れとか。
おんなじ制服の何千人にもなる軍隊とか、、、

音楽もなく、ナレーションもなく、
映像だけが永遠に続く。
たまごもひよこもにわとりも、
どのシーンでもうようよいっぱいいる映像。
果てしなくいっぱいいる。
しかもにわとりやぶたは
同じぐらいの大きさで同じ向きに並んでいる。
それが全部オートメーション化されている。
そこにいる人間はオートメーション的に作業している。
彼らは何の感情も見せず、淡々と作業をする。
「いのち」を扱っているという感傷などもつはずもない。
とことん合理的だ。
そして、その合理主義で機械的に作られたもので、
ワタシたちも作られていくというわけである。 

この合理的という現実をみせつけられた92分。
その現実に目眩がし、震えさえ感じた。
ここでとりあげられているものに
「いのち」をほとんど感じられなかった。
合理性を求めているのだ。
ここで働く人々がもののように扱っても当然のことだ。
何も間違っていない。

ところが、である。
うしは種付けさえこの合理主義でおこなわれ、
最初から人間の食用としていのちを授かり育てられる。
そんなうしでも、最期に機械に押し込まれるのを厭がった。
それが「いのち」の本能ってものだろう。
そんな一面もみることができた。

あのうしのつぶらな目が切なくて、忘れられない。
でもワタシは生きるために「いのち」をいただく。
いつか土に還るためにいただく。
だったら、きちんと向きあっていただきたい。
そのことを身にしみて感じた。

 (2008.2.29)

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