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2010-06-18

ヒトラーの贋札

2006年 
ドイツ・オーストラリア
監督・脚本:ステファン・ルツォヴィッキー
出演:カール・マルコヴィクス/アウグスト・ディール/デーヴィト・シュトリーゾフ/アウグスト・ツィルナー/マルティン・ブラムバッハ

31Jun.'08 早稲田松竹にて
★★★★★

究極のジレンマと矛盾の贋札づくり。
「今日の銃殺より明日のガス室」というサリーの台詞。
何が正義なのか、、、
正しいことなんて収容所では虚しいだけだ。

壁一枚向うでは日々、銃殺が行われている。
ポンド紙幣の贋札の成功のご褒美にピンポン台が贈られる。
そんなところでどうしてピンポンなど楽しめるのだろう。
贋札の技術者たちの待遇は収容所と思えないほどいいのだが、
こういうことが彼らの神経を逆なでしてじりじりと追いつめる。

カール・マルコヴィクスの淡々とした演技がすばらしかった。
眼孔にいつも力が入ってる感じがせつなかった。
禿げてても艶っぽいし。

贋札や偽パスポートの偽造の細かな作業や道具にも
興味をそそられる。
やっちゃいけないことって、覗きたくなる。
けど、命を賭けた贋札づくりだからか、妙に緊張した。
最後までぴーんと張りつめたものの中で、
無理難題を押し付けられたりしないかとそわそわしながら、
観ていた。
(2008.6.5)

いのちの食べかた

2005年 
ドイツ・オーストラリア
監督:ニコラウス・ゲイハルター
脚本:ウォルフガング・ヴィダーホーファー/ニコラウス・ゲイハルター

24Feb.'08 イメージフォーラムにて
★★★★★

わかっていたはずだった。
目を叛けない覚悟があったはずだった。
なのに現実をみせつけられ、
動揺しているどうにもだらしのない自分を
思い知らされてしまった。

ワタシは同じ形の生き物が
大量にうようよしているというのがどうしても苦手だ。
うようよが不気味で仕方がない。
異常気象のせいなどでトンポやセミのが大量発生するとか、
カラスの大群とか、
都会のビルに潜んでいるネズミの群れとか。
おんなじ制服の何千人にもなる軍隊とか、、、

音楽もなく、ナレーションもなく、
映像だけが永遠に続く。
たまごもひよこもにわとりも、
どのシーンでもうようよいっぱいいる映像。
果てしなくいっぱいいる。
しかもにわとりやぶたは
同じぐらいの大きさで同じ向きに並んでいる。
それが全部オートメーション化されている。
そこにいる人間はオートメーション的に作業している。
彼らは何の感情も見せず、淡々と作業をする。
「いのち」を扱っているという感傷などもつはずもない。
とことん合理的だ。
そして、その合理主義で機械的に作られたもので、
ワタシたちも作られていくというわけである。 

この合理的という現実をみせつけられた92分。
その現実に目眩がし、震えさえ感じた。
ここでとりあげられているものに
「いのち」をほとんど感じられなかった。
合理性を求めているのだ。
ここで働く人々がもののように扱っても当然のことだ。
何も間違っていない。

ところが、である。
うしは種付けさえこの合理主義でおこなわれ、
最初から人間の食用としていのちを授かり育てられる。
そんなうしでも、最期に機械に押し込まれるのを厭がった。
それが「いのち」の本能ってものだろう。
そんな一面もみることができた。

あのうしのつぶらな目が切なくて、忘れられない。
でもワタシは生きるために「いのち」をいただく。
いつか土に還るためにいただく。
だったら、きちんと向きあっていただきたい。
そのことを身にしみて感じた。

 (2008.2.29)

2010-06-17

隠された記憶

2005年 
フランス/オーストリア/ドイツ/イタリア
監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:ダニエル・オートゥイユ/ジュリエット・ビノシュ/モーリス・ベニシュー/アニー・ジラルド/ベルナール・ル・コック/ワリッド・アフキ/レスター・マクドンスキ

12Aug.'09 DVD
★★★★★

すっきりしない不安感だけが残ったまま、
終わってしまった。
あんまりすっきりしないので、もう一度観たけど、
誰がビデオを送りつけた犯人
(犯人といっても、ビデオと絵を送っただけなんだけど)
かは、わからなかった。
あと、予告で衝撃のラストといっているシーンも、
巻き戻してみて、ようやく見つけたけど、
それがどうビデオと関係があるのかはやっぱり、不明。
いろんな方のレビューやブログを拝読したものの、
そういう解釈もあるなー、どまり。
ただ、ああだ、こうだと、いろんなふうに考えられるのは、
この映画の面白いところなのかもしれない。
監督も「誰がビデオを送ったかは重要ではない」と、
いっているし、犯人探しはあまり意味がなさそう。

で、もうひとつ腑に落ちないのが、マジッド。
なぜ、死ななくちゃならなかったんだろう。
ジョルジュへの見せしめ? 
そりゃ裕福じゃないし、移民の子どもで苦労もあったろうし、
幼い頃のジョルジュの仕打ちは許せないかもしれないけど、
でも、息子は立派に成長しるし、
それなりに生きているように見えたのに。。。
見せしめだろうが何だろうが、
ジョルジュのために死ぬなんてあり得ないと思う。
じゃ、なぜ?

だけど、ひとつだけいえるのは、
ジョルジュはマジッドが死んだことで、
またひとつ「疚しさ」を抱えなくてはならなくなった。
マジッドに再会できたのは、
6才の時についてしまった嘘の清算をするいい機会だったはず。
なのに、ジョルジュはビデオのことばかりで、
結局それは自分の不安を解消したかっただけで、
マジッドを気遣いもせず、
謝罪するなんてことに到底及ばなかった。
それどころか脅迫めいたことまで言っていた。
お金持ちで教養のあるジョルジュ。
品位などかけらも見せることなく、
使用人の息子のマジッドをいまだに蔑んでいた。
傲慢という罠に思いっきり嵌っていた。
表向きには犯罪者ではないし、
これからも今まで通りの暮らしができるだろう。
でも、目の前で起きたことはあまりに強烈で、
今度ばかりはどんなに封じたくても、
封じきれるようなものではない。
死ぬまで、このずっしりと重い「疚しさ」という荷物を、
持ち続けなくてはならなくなってしまったのだ。

これって、どんな罰より耐えがたいことだと思う。
だんだん背筋が寒くなってきた。。。
やっぱり、ハネケだ。
(2009.8.14)

ファニーゲーム

1997年 
オーストリア
監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:スザンネ・ローター/ウルリヒ・ミューエ/フランク・ギーリング/アルノ・フリッシュ/ステファン・クラブチンスキー

11Aug.'09 DVD
★★★★☆

ハネケの作品はなんとなく避けていた。
心して観ないとココロを壊されると思い込んでたから(笑)
実は『〜U.S.A.』の方を先に観てしまったので、
こちらはかなり客観的に観ることができた。
さすがに怖いのは怖かったけど、 思ったほどじゃなかった。

で、何がこんなに不快で不愉快なんだろう。
なんか神経に障る、癪に障る、癇に障るのだ。

若者たちは一見は悪者にはみえない。
どちらかといえば下手に出て、
にこにこしている印象。
そんな彼らに対して、
自分たちの方が上という心理がどこかに働く。
簡単に若者を家の中に入れてしまったのも、
若者が卵を落としてしまったのも、
ケイタイが流しに落ちてしまったのも、
実はアナのちょっとした心のスキだったり、
奢りだったり、が引き起こしていることだ。
不親切に思われたくないから親切を装うけど、
親身にはなれずに、
中途半端な態度から起こっていることだ。
日常生活で誰でもしてしまいがちなことだし、
ひとつひとつは小さなことで、
取り立ててとやかく思うほどのことでもない。
だけど、重なるとイライラにつながる。
アナは無意識にそれを若者のせいにしていたけど、
若者を外で待たせておいて、
卵は包んで、落とさないような状態にして渡して、
ケイタイは流しの淵に置かなければ、
起こってなかったことかもしれない。
若者に対してイラつきながら、
ちゃんとしてあげればよかったと思う部分も、
どこかにあったかもしれない。
いい加減なことをしてしまってせいで、
新たなイライラを生んでしまった。
観客はアナのスキに気がついて、
「ほら、いわんこっちゃない」とイライラする。
いろんなイライラが膨らんで、充満してしまう。
ゲオルクはそんなイライラを感じながら、
また自分も無性にイライラしてしまって、
思わず若者を引っ叩いてしまう。
そしてそれを大義名分にして、
若者たちは家族を執拗にいたぶり始める。。。
途端に若者たちのにこにこした顔が、
この上なく薄気味悪くなる。
イライラに比例して、薄ら寒いものを感じ始める。

直接的な暴力シーンはほとんどない。
暴力が行われる時はカメラは違うものを写している。
でもその暴力の音だけははっきりと聞こえる。
こんな時の人間の想像力の豊かなことといったら、、、
どんな惨劇の映像を見せられるより、
悲惨な映像を思い浮かべてしまう。
ハネケは怖さを表現する天才だと思った。

救われないといえば、救われない映画だ。
けれど、こうなってはじめて、
この家族に人間の縮図のようなものを見たような気がした。
根拠もなしにココロを許して簡単に信用するのも人間なら、
他人と比べて、少しでも上だと思えば傲慢になるのも人間、
どうすることもできない状況なのにあきらめないのも人間だし、
敵ができたときに家族が結束する力を持つのも、人間なのだ。
ゲオルクがアナを逃がすときにいった台詞だけには、
救われた。

家族側に感情移入していると、 パウロに呼ばれて、
知らない間にゲームをする側になってて、
でも気持ちはなんとか家族を助けたいのに、
またパウロに呼びかけられて物語の外に放り出される。
その意図はわからないけど、
薄っぺらな感傷に浸るなといわれているような、、、
とことん負の要素しかない後味の悪い映画にしたかったのか。
その徹底ぶりに、そのこだわりに、
脱帽。。。
(2009.8.13)